島田暁美先生のサンフランシスコレポート

2010年08月14日

「思いがけない再会  サンフランシスコにて」


  この夏、サンフランシスコで開催された「女性と女児の生活向上」を目的とするNGOの会議に出席してきました。

  アメリカ・カナダ・アジア南アメリカの国々から集まった1300名の人々が集う歓迎レセプションで、思いがけない素敵な再会が!!



島田暁美先生のサンフランシスコレポート


  その女性は、Ms.ヴァージニア・ミューラー、88歳になられる今もサクラメント(米・カリフォルニア州)でお元気に活躍なさっている弁護士さんです。

  ミューラーさんのお父様(William Leonard Schwartz)は、1910年から1914年まで第7高等学校造士館(現在の鹿児島大学)で教鞭をとり、偶然遭遇した桜島大爆発の記録を銀板写真に収めておられました。

  1993年、その貴重な写真と、趣味で集めた歴史的価値の高い薩摩焼(飴釉仏花器)などを県歴史資料館「黎明館」に寄贈なさいました。その時に通訳をつとめたのが最初の出会いでした。



島田暁美先生のサンフランシスコレポート
写真・シュワルツ父子 Ms.ミューラーに頂いた資料より



  お話するうちに、おじい様(Reverend Henry Butler Schwartz)も鹿児島に宣教師として1902年(明治35年)家族と共に滞在し、後に東郷平八郎のことを書いた「IN TOGO’S COUNTRY 東郷の国」を出版していたことがわかりました。
<注:1978年(昭和53年)、南日本新聞社当時文化部記者・大園純也氏によって翻訳され、新聞に連載されている>

  当時、無名の小国があの大ロシアを打ち破ったということで、日露戦争の象徴的人物である東郷平八郎大山巌とは一体いかなる人物であろうかと世界中が知りたがったこともあり、この本は一躍脚光をあびたと聞いています。



  薩摩の歴史、自然、竹や石材・さつまいもなどの特産物、男女差別、さらに、学舎教育への意見から、「Daitero san to Daitero san wa, Kyodai don ja goahan ka?」と子供が歌う鹿児島弁を東京弁と比較するなど、庶民の暮らしまでかかれていて興味深いこの本を、あらためてゆっくりと読んでみたいと思います。
  Ms.ミューラーとの再会は、「日本や郷土の歴史を英語で学ぶ」講座を担当している私にまた新たなヒントを与えてくれました。



  翻訳者の大園氏は、記事の中に、「著者・シュワルツの詳しい正体はよくわからない。鹿児島とのかかわりについては、著者自身3年間滞在したと書いてあるのみで手掛かりは乏しい」と書いています。

  前述の贈呈式を終え鹿児島空港から飛び立つ直前に、このMs.ミューラーシュワルツ氏の孫であることを知った大園氏の喜びが、歴史を伝える人々の絆を一層強くし、深く心に印象づけてくれたのでした。

レポート:島田暁美(鹿児島外語学院講師)



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Posted by GAiGO at 11:42│Comments(0)国際交流
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